【入門解説】クイーン〜イギリスからやってきたロックの貴公子〜【2024年来日特集】
2024年2月、4年ぶりの来日が決定したイギリスのロックバンド、クイーン。
2018年の映画『ボヘミアン・ラプソディ』によって再び脚光を浴び日本では第3期クイーン・ブームが来ています。
1973年のデビューから50年以上のキャリアがあるクイーン。
唯一無二のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーをエイズで失ってから30年以上。
現在もアダム・ランバートをサポートメンバーとして迎えて活動しています。
彼らのキャリアを振り返ってみましょう。
- クイーンの歴史
- クイーンの魅力
- クイーンをよく知らない方
- 洋楽をとことん楽しみたい方
クイーンの歩み
まずはバンドメンバーの紹介とクイーン結成までを解説します。
バンドメンバーの紹介
名前 | 担当 | 活動期間 |
フレディ・マーキュリー | ボーカル、ピアノ、ギター | 1970年〜1991年 |
ブライアン・メイ | ギター | 1970年〜現在 |
ロジャー・テイラー | ドラム | |
ジョン・ディーコン | ベース | 1971年〜1997年 |
各メンバーの生い立ち〜クイーンの結成まで
フレディ・マーキュリー(1946年〜1991年)
1946年9月5日ファルーク・バルサラとしてイギリスの植民地ザンジバル(現タンザニア)で誕生。
7歳の頃にピアノを習い始め、1954年8歳のときにインド、パンチガニの寄宿学校に入学。
スポーツと芸術のセンスがある少年は初めてのバンド「ザ・へクティクス」を結成します。
Freddie Mercury with his first band, The Hectics, in St. Peter’s Boys School in Mumbai, India, 1958. pic.twitter.com/lSfk9t8Kfc
— Classic Rock In Pics (@crockpics) July 29, 2024
【出典】Classic Rock In Pics (@crockpics) Xより
バンドではキーボードを担当、50年代のロックに影響を受け自身もリトル・リチャードのような髪型にするほどです。
またインドの音楽にも影響を受けていて、ボリウッド映画で活躍したラタ・マンゲシュカルなどからの影響も強いです。
この頃からフレディと呼ばれ出したそうだよ
1964年ザンジバル革命が起こり一家は英国ミドルセックス州ファルコンへ渡ります。
1966年フレディはイーリング・アート・カレッジ(Ealing College of Art)のグラフィック・デザイン科に進学。
レッケージと言うバンドに入り独学でギターを弾き作曲も行うようになります。
ジミ・ヘンドリックスに魅了されノートに彼のイラストを何枚も書いていたそうです。
学生バンド「スマイル」を追っかけるようになりバンドのボーカル兼ベースのティム・スタッフェルと親しくなります。
そして彼を通しスマイルのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーに出会います。
ブライアンとはすでにロンドンの古着屋で出会ってたらしいな
1970年にティムが抜け、新ボーカルとして「スマイル」に参加。
フレディの提案で「クイーン」に改名。
この時に名字も「マーキュリー」に変更しました。
マーキュリーは「神々の使い」という意味があるよ
ブライアン・メイ
1947年7月19日ミドルセックス州ハンプトンで誕生。
初めての楽器はウクレレ。
7歳の誕生日にはアコギを手に入れ、その後電気技師の父親の手を借りエレアコに改造。
映画『トミー・スティール物語』でギターに目覚めインスト系にハマっていましたが、ヤードバーズのエリック・クラプトンを観てから世界が変わります。
その後ロックにハマりザ・フーのライブに何度も通いパフォーマンスの仕方を学んだそうです。
特にジミ・ヘンドリックスには度肝を抜かれたとか。
本格的なギターを買うことができないため父親ハロルドとともにギターを制作。
現在でも「レッド・スペシャル」として知られています。
【出典】Guitaristes Officiel (@guitaristes.officiel) Instagramより
1965年にロンドン大学インペリアル・カレッジで天文学を学びます。
その時学生バンド「1984」のギターを担当しておりジミヘンの前座を務めたりもしました。
「1984」はブライアンの初めてのバンド。名前の由来はジョージ・オーウェルの小説からとっているみたいだぜ。
「1984」が解散し「スマイル」をロジャーらと結成。
その後脱退したボーカルの代わりにフレディが参加し「クイーン」となります。
ロジャー・テイラー
1949年7月26日イングランド東部のノーフォーク州キングズ・リンで生まれ。
ブライアンと同じくウクレレからスタート。
8歳でバンドを結成し学校のパーティーで腕前を披露しています。
アコギを購入しますがギターが難しすぎたため楽器を変更。
ドラムに興味を持ち友人や家族からスネアやバスドラムなどをもらいシンバルを購入してドラムセットを完成させます。
1967年に歯科医大に入学、在学中ロンドンで目にした「スマイル」のメンバー募集の張り紙に応募しドラマーとして参加。
ジョン・ディーコン
1951年8月19日イングランド中部のレスター生まれ。
最初の楽器は7歳のときのおもちゃのギター。
ただ本物が欲しかったジョンは新聞配達をして稼いだお金でアコギを手に入れます。
これが11歳のとき。
1965年、14歳のときにリズムギターとしてバンドに参加。
メンバーがことごとく変わる中ベースに穴があったためベースを担当するようになります。
1969年、ロンドン大学チェルシー・カレッジに入学。
電子工学を学ぶ学生でそのときには音楽活動はしていなかったのですが、友人を介してブライアンとロジャーに出会います。
クイーンのベースのオーディションを受けたジョンは見事合格し、1971年に正式にメンバー入りしました。
クイーンのメンバーでは最年少で、19歳で参加しました。
クイーンのキャリア
遡ること1968年。
ブライアンとロジャーが「スマイル」と言うバンドを結成するところからキャリアが始まったクイーン。
現在の活動から過去、そして未来という時系列で語っていきたいと思います。
クイーン+アダム・ランバート(2012年〜現在)
【出典】Queen (@officialqueenmusic) Instagramより
2008年にアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル』のシーズン8に参加した26歳の新人アダム・ランバート。
彼が初回審査で披露したのが「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)でした。しかもアカペラで。
審査員のサイモンにはドラマチックすぎると言われてたけど、期待以上に成功したよ
翌年の決勝戦では惜しくも準優勝でしたが、優勝者のクリス・アレン、アダムそしてクイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーで「伝説のチャンピオン」(We Are the Champions)を披露。
この時初めて共演しました。
ソロとしてのキャリアを築いていくアダムは、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードで再びクイーンと共演。
お互いの息が合うことを理解した彼らは2012年から「クイーン+アダム・ランバート」として活動。
2012年のライブをきっかけに世界中で見たいとう要望があり全大陸を制覇する大規模のツアーが行われました。
2014年に日本に来日したときクイーンの2人は懐かしさを感じたそうです。
ビッグ・イン・ジャパンを再び身にしみた瞬間でした。
この編成になってから12年も活動している彼らが再びやってきます!
クイーン
【出典】Queen (@officialqueenmusic) Instagramより
クイーンとしては1971年にイギリスのロンドンで誕生。
大学でのギグやロンドンのマーキー・クラブなどで演奏をしていました。
EMIと契約し1973年アルバム『戦慄の王女』(Queen)でデビュー。
高評価であったもののアメリカでは売れませんでした。
当時はプログレッシブ・ロックやグラム・ロックの全盛期だったからな〜
1974年の2ndアルバム『クイーンⅡ』からの「輝ける7つの海」(Seven Seas of Rhye)が初のヒット。
11月には3rdアルバム『シアー・ハート・アタック』を発表し「キラー・クイーン」(Killer Queen)が国際的に大ヒットします。
ジョジョの奇妙な冒険第4部に登場する吉良吉影のスタンド名(キラー・クイーン)と能力名(シアー・ハート・アタック)はここから来てるよ。
1975年5月1日「シアー・ハート・アタック」ツアーが日本でスタート。
ちなみに初来日は1975年4月17日。
同年4thアルバム『オペラ座の夜』をリリース。「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)が大ヒットします。
もともと10分あった曲で、長すぎるからラジオではかからないなどと言われていましたが前日の売り上げだけで6万枚の大ヒット。
セックス・ピストルズやエルトン・ジョン、ボーカルグループのブルーでもそこまで売れていなかった一方で、「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)は全英9週間連続No. 1ヒットしました。
BBCの音楽番組では一晩で10回も流れ、キャピタル・レコードのケニー・エベレットは「ヒットしそうだ」と言って何度もかけていたそうです。
1976年5thアルバム『華麗なるレース』をリリース。
アメリカでは2週間でゴールドディスクに輝きます。
前作とほぼ同じアルバムアートワークはマルクス兄弟の映画からの引用で、ブライアン・メイがいうにはこの2枚は双子のようなものだそうです。
日本のファンへ捧げた歌「手をとりあって」(Teo Toriatte (Let Us Cling Together))が収録されているのもこのアルバムです。
パンク・ロックが盛り上がってきたころの1977年に6thアルバム『世界に捧ぐ』をリリース。
「ウィー・ウィル・ロック・ユー」(We Will Rock You)と「伝説のチャンピオン」(We Are the Champions)の2曲が収録されたこのアルバムはアメリカで400万枚を売り上げ、ロックアンセムに。
現在でもスポーツの応援ソングとしても流されている名曲です。
7枚目のアルバム『ジャズ』をリリースする一方でバンド内では創造性や貪欲さがなくなっていくようになります。
しかしそれでもヒット曲は連発、『ジャズ』からは「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(Don’t Stop Me Now)
続く1980年のアルバム『ザ・ゲーム』からは「愛という名の欲望」(Crazy Little Thing Called Love)と「地獄へ道づれ」(Another One Bites the Dust)がヒット、アルバムはアメリカで最も売れたアルバムとなりました。
その後はSFアクション映画『フラッシュ・ゴードン』のサウンド・トラックの担当を勤めたり、ベストアルバムを発表します。
1982年の『ホット・スペース』ではデヴィッド・ボウイと「アンダー・プレッシャー」(Under Pressure)が収録され全英シングルチャートで1位に輝きます。
1984年アルバム『ザ・ワークス』を発表。「RADIO GA GA」(Radio Ga Ga)や「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」(I Want to Break Free)という今では名曲として知られている楽曲ですが当時のアメリカでは不発。
そのまま低迷期をむかえてしまいます。
女装姿のミュージックビデオがアメリカで物議をかましMTVで放映禁止になったりもしました。
しかし1985年伝説のライブ、ライブエイドで大復活を遂げます。
翌年にはアルバム『カインド・オブ・マジック』をリリース。
映画『ハイランダー悪魔の戦士』の楽曲としても使用されます。
同年に行われたネブワースでのライブが4人揃っての最後のライブとなりました。
次第にフレディの身体をエイズが蝕んでいきます。
弱った姿からメディアからは病気のウワサをされますが、メンバーはこれを否定。
1989年に『ザ・ミラクル』と1991年に『イニュエンドウ』をリリースするなど精力的に活動を続けますが、1991年11月23日にAIDSに感染していることを発表。
翌日にフレディは亡くなってしまいます。
享年45歳でした。
1992年4月20日にウェンブリー・スタジアムでフレディ・マーキュリー追悼コンサートが開かれます。
バラエティー豊かな20人の出演者は、7万2千人の観客の前でクイーンの楽曲を披露しました。
収益はフレディの死後設立された慈善団体マーキュリー・フェニックス・トラストに寄付されたそうです。
【公式サイト】The Mercury Phoenix Trust
「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)が映画『ウェインズ・ワールド』で使用され再ヒットしたよ
1995年最後のアルバム『メイド・イン・ヘブン』をリリース。
フレディが生前残していた音源やソロ曲を再編集したアルバムでロジャーが最初に取り掛かり他のメンバーも続いて行いました。
「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(I Was Born to Love You)も収録されているアルバムです。
1997年にベースのジョン・ディーコンが音楽業界から引退。
しかし2023年現在でもビジネスのやりとりはしているそうで、ブライアンも彼はバンドの一部と語っています。
クイーン+ポール・ロジャース(2004年〜2009年)
【出典】Queen (@officialqueenmusic) Instagramより
1986年のネブワースでのライブが最後だったクイーン。
フレディの死後は各メンバーはソロ活動をしていましたが、2004年第1回UK Music Hall of Fameで「オールライトナウ」(All Right Now)をバッド・カンパニーのポール・ロジャースと披露。
翌年から本格的にポールはクイーンとともに「クイーン+ポール・ロジャース」としてツアーを行いました。
ツアーではバッド・カンパニーの曲も演奏したそうだよ
「クイーン+ポール・ロジャース」名義で発売したアルバムは2枚あり、2005年にはライブ・アルバム『リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ』。2008年には『ザ・コスモス・ロックス』をリリースしています。
【考察】未来のクイーン像
1973年にデビューしてから50年以上経つクイーン、形を変えクイーン+アダム・ランバートとして活動をしています。
そんな彼らの未来像を妄想を含め考察していきたいと思います。
【その①】メタバース化
【出典】KISS公式Instagramより
同時期にデビューしたKISSは現在も活動をしているものの大規模なコンサートは「END OF THE WORLD TOUR」を最後に締めました。
そしてなんとメタバースの世界でアバター化するという第2のKISSとして新たな活動をしています。
もしかしたら近い将来クイーンもメタバースとして活動するかもしれないです。
【その②】AIを屈指した活動
【出典】The Beatles公式Instagramより
AIの技術の発展で芸術の分野でも大きな役割を果たしています。
例えば2023年にビートルズが発表した新曲「Now And Then」はいい例です。
もともと『ビートルズ・アンソロジーⅢ』で出す予定だった曲で、テープの状態が悪く長い間お蔵入りになっていたものです。
しかしAIによりジョン・レノンの歌声だけをクリアに抽出することに成功。
最後の新曲としても知られるようになりました。
もしクイーンに未発表の音源がありフレディの声を抽出できたら、29年ぶりの新曲という可能性もあるのではないでしょうか。
【その③】ゲストを呼んだ継続的なライブ活動
フレディが亡くなってからはゲストを呼んで活躍しているクイーン。
いわゆるクイーン+という編成で過去にはポール・ロジャース、そして現在はアダム・ランバートらと共演しています。
2012年のロンドンオリンピックの開会式ではクイーンとジェシー・Jが「ウィー・ウィル・ロック・ユー」(We Will Rock You)を披露しました。
彼女は厳密には+の編成ではないですが、その時代ごとのスター歌手とコラボすることで新たなファンを獲得することができるのではないでしょうか。
つる的クイーンの魅力
- ライブでの魅せ方
- ミュージックビデオの魅せ方
- 4人それぞれの魅力
ライブでの魅せ方
ライブでの魅力は2つあります。
1つ目の魅力は圧倒的なライブパフォーマンスです。
そしてレコードと同じことはやらないというのがクイーンの醍醐味でもあります。
ライブレポートに興味ある方は【ライブレポート】クイーン+アダム・ランバート来日公演2024年東京ドーム最終日、伝説を目撃してきた。からご覧ください。
例えば「ウィー・ウィル・ロック・ユー」(We Will Rock You)は通常バージョンの他にもライブならではのバージョンがあります。
その他にもバンドと観客の一体感を強く感じることがライブならではの魅力でもあります。
ライブ・エイドでの「Ay-Oh」のシーンや「RADIO GAGA」での手拍子がいい例でしょう。
またスタジアムを満員にするほどの人気ぶりからスタジアム・ロックや産業ロックなどと呼ばれるバンドの一つとしても知られています。
2つ目の魅力は映えるステージ衣装です。
ステージ上で魅せる彼らはこだわりが強く、特に70年代のライブでは衣装が美しいです。
色は白と黒を使うことでバンドの統一感が生まれ、さらに、冠婚葬祭で使われるこの2色は大人な雰囲気も出してくれます。
胸元のガッツリ開いた衣装やフリルのついた衣装はアートを学んでいたフレディとデザイナーのザンドラ・ローズによるもので、シアトリカルな演出が注目点です。
また70年代に流行ったデヴィッド・ボウイやTレックスのようなラメ入りの衣装や化粧をするグラムロックの影響も受けています。
当時の日本のファンはこういったところ惹かれたんだろうね
イギリスからやってきたってだけでも気になるしな〜
ビートルズの再来的な感じもあったのかな
フレディなき今はアダム・ランバートがその役目を大きく受け継いでいます。
【出典】Queen公式Instagramより
魅力的なミュージックビデオ
クイーンのミュージックビデオは内容は正直意味不明なものがあります。しかしその世界観や短編映画を見ているような演劇性のある魅力的な作品が多々あります。
それではいくつか紹介していきましょう。
Bohemian Rhapsody
曲がヒットしたことでビデオの制作オファーがあったのがこの曲。
監督はブルース・ゴワースで数々のミュージックビデオを制作してきた人です。
当時ツアー中でイギリスの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出れなかったバンドでしたがこのミュージックビデオが宣伝効果に繋がりました。もちろんまだMTVもVH1もない頃です。
4時間の撮影と5時間の編集で費用も4500ポンド(約83万円)という低予算で制作したそうです。
史上最も予算のかかったミュージックビデオはマイケル・ジャクソンの「スクリーム」で700万ドル(現在のレートで約7億円)です。
I Want to Break Free
イギリスの連続ドラマ『コロネーション・ストリート』のパロディで、クイーンのメンバー全員が女装をしているインパクトが強いミュージックビデオ。
中盤ではロイヤル・バレエが披露され、ヒゲをそったフレディが登場。人間の波にダイブし流れるシーンでフレディの真顔を見るとつい笑ってしまいそうになります。
最年少のジョン・ディーコンが最年長の不機嫌なおばあさんを演じていたり、プレイボーイなロジャー・テイラー女子高生を演じているのも注目です。
3日間の撮影は笑いの絶えない現場だったそうです。
It’s a Hard Life
これぞまさにクイーンによるクイーン劇場といっていいでしょう。曲を聞くというよりも見て楽しむ楽曲です。
冒頭の歌詞とメロディをオペラ『道化師』から引用していて、「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)や「愛にすべてを」(Somebody to Love)に近い要素を感じることができます。
4人の共通点と異なる魅力
4人に共通している魅力と異なる魅力がクイーンというバンドの中で素晴らしい化学反応を起こしています。
メンバーの共通点
【出典】Imperial College LondonのInstagramより
共通点は4人全員がヒット曲を作れること、そしてインテリであることが挙げられます。
名門大学インペリアル・カレッジ・ロンドンとチェルシー・カレッジ(現キングス・カレッジ・ロンドン)出身のメンバーはそれぞれ分野で才能を発揮、
ジョンとブライアンは理系、ロジャーは歯学部、フレディは芸術科の学生でした。
ブライアン・メイは物理学の学士号を取得後、クイーンとして活動。
カレッジに再び戻り2007年に天体物理学の博士課程を終えました。
2022年には英国立ハル大学から名誉理学博士号が授与されています。
その他にも2005年にコマンダー(CBE)を授与、2023年にはナイトを授与。
正式名称は「サー・ブライアン・ハロルド・メイCBE」となっています。
メンバーの異なる魅力とヒット曲
ブライアンは意志が強く強調性を重んじるタイプで、硬派なギタープレイヤー
ジョンは物静かで目立たないが自分の意思を貫くタイプ
ロジャーは生まれ持ってのロックスターで女性人気No. 1
1977年6月号の『ミュージック・ライフ』を見てみるとブロンディのデボラ・ハリーとロジャーがキスをしている瞬間を撮られています。(ロサンゼルスで開かれたブロンディのパーティーでの出来事)
フレディは劇場型のエンターテイナー・ショーマン
このような異なる才能がお互いを刺激し合いヒット曲を放ってきたのだと思います。
バンドロゴの意味と「クイーン」の由来
バンドロゴの意味
【出典】Queen公式Instagramより
フレディが考案したバンドロゴは、メンバーの星座を配したデザインになっています。
2頭の獅子はジョンとロジャー、蟹はブライアン、妖精は乙女座のフレディを指しています。
また王族的な要素を強く打ち出したかったフレディは「王族への憧れ」をデザインに落とし込みました。
【出典】The Royal Family公式Instagramより
確かに王室のエンブレムにそっくりだな
バンド名「クイーン」の由来
「スマイル」と言うバンド名から「クイーン」に変えたのはフレディ・マーキュリーの提案と言われています。
名前の解釈に関して1977年の『ローリング・ストーン』誌では以下のように語っています。
「クイーンのアイディアは、僕が長いこと暖めていたものなんだ。力強い、普遍的な、わかりやすい名前だからね。ビジュアル的にも多くの可能性を秘めていたし、あらゆる類の解釈ができた。ゲイの含みがあるということも当然知っていたよ。でも、そんなのは類あるうちの一要素でしかなかった」
参考文献
記事
- 【MUSIC LIFE CLUB】ブライアン・メイ、ジョン・ディーコンの脱退理由について語る
- 【BARKS】ポール・ロジャース、クイーンとのコラボを終了
書籍
- 阿部晴政、若林繁男、北島義俊『文藝別冊[総特集]QUEENクイーン伝説のチャンピオン』(河出書房新社・2003年)
- アダム・ドルギンス著『ロックABBAからZZトップまで』(東亜音楽社/音楽之友社・1995年)
- ギター・マガジン編集『プロ・ギタリストが語る 僕の好きなギター・ヒーロー100』(リットー・ミュージック・2016年)
- 朝田順子 著『クイーンは何を歌っているのか?』(発行元:株式会社シーディージャーナル/株式会社音楽出版社・2019年)
映像作品
以下の作品は全てU-NEXTで見放題視聴できます。
- クイーン:ヴィデオ・キルド・ザ・ラジオ・スター(イギリス・2011年)
- クイーン ヒストリー 1973 – 1980(アメリカ・2005年)
- クイーン:ロック・レジェンズ(2013年)
- クイーン:ブレイク・フリー(2017年)
- クイーン:ストーリー&ソングス(カナダ・2018年)
- フレディ・マーキュリー:キング・オブ・クイーン(イギリス・2018年)
まとめ:改めてクイーンの凄さを知ってほしい
クイーンの解説をしてきましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも曲を聞いてみたいと思ってくだされば幸いです。
2018年には映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開され新規ファンも獲得するクイーン。
2024年2月名古屋ドームを皮切りに“THE RHAPSODY TOUR”が行われます。
日本公演最大級のドームツアーで、もしかすると最後かもしれないという意味深なコメントを残しているブライアンとロジャー。
東京公演は私も見に行く予定です。
彼らの生の演奏を体感しに行ってみてはいかがでしょうか?
このように当ブログでは洋楽の魅力を発信しています。
記事の更新を見逃さないためにも、XとInstagramのフォローもお願いします!