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【考察】映画『バッファロー’66』から読み解く洋楽の世界【映画紹介】

映画『バッファロー’66』の音楽、考察
axlcity
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映画を観ていると気になるのが、登場人物のファッションや出てくる食べ物、その映画そのものの世界観があります。

そして、なんと言っても切り離せないのが「音楽」です

今回扱うのは、映画『バッファロー’66』(1998年)。

この映画では、登場人物の心情がうまく音楽で表現されています。

本記事では映画を音楽的視点で読み解き、その魅力を考察を交え伝えていきます。

では早速みていきましょう。

この記事で分かること
  • 映画『バッファロー’66』で使われている楽曲
  • 楽曲が意味すること
  • 登場人物と楽曲の関係性
  • 映画の魅力
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映画『バッファロー’66』の概要

あらすじ

【出典】90年代の名作映画『バッファロー’66』リバイバル上映【2023年11月10日より期間限定上映】|オリコン洋画館 ORICON NEWS|YouTubeより

俳優・ミュージシャン・画家など多彩な活動で知られるビンセント・ギャロが初監督・脚本・音楽・主演を務めたオフビートなラブストーリー。1991年・第25回スーパーボウルの勝敗をプロットに盛り込みながら、ダメ男だがなぜか憎めない主人公の人生模様と、彼の全てを優しく受け止めようとする少女を描く。5年の刑期を終えて出所したビリーは、故郷の街バッファローへ帰ることに。事情を知らない両親に電話して「婚約者を連れて行く」と嘘をついてしまった彼は、見ず知らずの少女レイラを拉致して恋人のふりをするよう強要。レイラはビリーと一緒に過ごすうちに彼の孤独な素顔を知り、次第に好意を抱き始める。しかし、ビリーにはやり残したことがあった。

作品情報

引用:Amazon
映画の詳細
原題Buffalo’66
監督ヴィンセント・ギャロ
主演ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ
制作年1998年
制作国アメリカ
上映時間113分
30日間無料体験

ビリーを映し出すオープニングの曲

ヴィンセント・ギャロの “Lonely Boy” (2002年)

冒頭、子犬を抱いた子供の写真と説明が映し出されます。

ここで流れるのは、“Loney Boy”という曲。

主演のビリーを演じたヴィンセント・ギャロが作曲した歌です。

「生まれてからずっと、孤独な少年なんだ」という歌詞からわかるように、このビリーという人間像を反映させています。

ヴィンセント・ギャロの “A Cold And Grey Summer Day” (2002年)

そして曲が終わり、雪が降る寒空の中、刑務所から釈放されるシーンでも “A Cold & Grey Summer Day” というピアノの旋律が物寂しく響かせます。

ビリーの父ジミーが披露する歌の意味

ネルソン・リドルの “Fools Rush In” (1959年)

釈放後、たまたま入った建物で少女レイラを誘拐するビリー。

それは両親に会いにいくため妻のフリをしてもらうためでした。

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

こだわりが強く厳しい父親と、アメフトにしか目がなく子供のアレルギーの事すら知らない母親、そんな家庭で育ったビリーは家に入るのを躊躇してしまう。

なんだかんだで両親と5年ぶりの再会、世間話をする中でレイラはビリーの父親ジミーが元ナイトクラブの歌手であることを知り、彼の歌を聞くことに。

そのとき歌われるのは、“Fools Rush In”です。

愚か者が恋の迷宮に迷い込む、どんなに危険でもあなたと出会えれば構わないと歌われる内容の曲です。

1940年に書かれたジョニー・マーサーとルーブ・ブルームによる共作です。

つる
つる

ジョニー・マーサーは映画『ティファニーで朝食を』(1961年)の挿入歌「ムーン・リバー」を作った人だよ

“fools rush in where angel fear to thread”(愚か者は駆け込む/天使も恐れる恋の迷宮に)という1節は、イギリスの詩人アレキサンダー・ポープの『批評論』(An essay on criticism)からの引用で、考える前に行動してしまう人間(fools rush in)のことを表しています

つまり、これから起こるビリーとレイラの関係を表していると考えられます。

「ネルソン・リドルがフランク・シナトラのために編曲したものの、シナトラは気に入らずに演奏だけが残った」と劇中で説明している通り、このバージョンには歌がありません。

映画の中で使われている音源は、ヴィンセント・ギャロの父親が実際に歌ったものを使用しているそうです。

レイラのタップダンスが表すもの

キング・クリムゾンの “Moonchild” (1969年)

両親の元から離れ、ボーリング場へ向かうビリーとレイラの2人。

到着するとオーナーに一言いわれます。

“The King” is back(”キング”の帰還だ)と。

まさに俺のテリトリーだと言わんばかりの態度を示し、上機嫌であるビリー。

それもそのはず、ロッカーまでキープしてくれて13レーンも未使用。

これこそ俺の場所だ。

レイラには妻のフリをさせているのですが、たまたま拾った女だと訂正します。

このシーンから、ビリーは繊細でこだわりが強く見栄を張る人間だと分かります。

テキーラ
テキーラ

ロッカーに貼ってあった片想いの女性、ウェンディの写真を見られたときに「1人にしてくれ」って言ったところからも繊細な人物だとわかるな。

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

連続でストライクを決めるビリー。

しかし機械の故障でその完璧な結果に傷がついてしまい、中断せざるを得ない状態になります。

席から立ち上がりビリーの動きを真似するレイラ。

彼女にスポットライトが当たりタップダンスを披露します。

このときに流れるのが、キング・クリムゾンの “MoonChild”です。

この歌の歌詞は、「彼女は孤独なムーンチャイルド(月の子)… 乳白色のガウンに身を纏い風に乗る…サンチャイルド(太陽の子)の微笑みを待ちわびて」と続きます。

これはレイラの人物像を表していると解釈できます。

彼女は乳白色のガウンを着ていますし、出会ったシーンからどこか孤独感を感じます。

ビリーに誘拐され、隙だらけであるのにも関わらず逃げなかったり、ずっと一緒にいるところからもそう感じます。

そして歌詞に登場する”サンチャイルド”は、ビリーのことを表しているという伏線になっていると考えられます。

テキーラ
テキーラ

「銀の指揮棒を振り回す」っていう歌詞とシンクロするように、足で円を描くダンスが1番好きなんだよな〜

2人の心境の変化とモーテルで流れる曲

スタン・ゲッツの “I Remember When” (1962年)

証明写真機で両親に送るための写真を撮る2人。

ビリーの心はまだ開かないのですが、レイラの心は次第に彼を許すようになります。

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

それは、ボーリング場を出て解放されてもビリーに追ていってしまう行動から読み取れます。

その後デニーズで同級生のウェンディとバッタリ会ってしまい、気まずくなりつい口論になってしまった2人。

トイレに駆け込み「生きられない」と涙を浮かべながら頭を抱えるビリー。

何かを取り繕い自分の弱さを見せないようにしていた彼も限界だったからこそ、心の声が漏れてしまったのだと解釈できます。

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

カットなってしまった事を謝り、2人はモーテルへ行きます。

孤独を満たしたいレイラと内側をなかなか露わにしないビリー。

次第に2人の距離は縮んでいき、ベッドで並んで寝るシーンで流れるのが、スタン・ゲッツの “I Remember When”です。

これは、サックス奏者スタン・ゲッツのアルバム『フォーカス』(1962年)に収録されている楽曲。

映画の中で唯一のジャズソングで、心落ち着くサックスに加え、揺れ動くオーケストラのストリングスが2人の親密度をましていくグルーヴに合います。

テキーラ
テキーラ

ビリーを抱きしめるシーンとこの曲があいまってレイラの母性愛がよく現れているよな

ビリーの決意

イエスの “Heart of the Sunrise” (1971年)

モーテルを借りたのは泊まる場所を探すためではありません。

道を挟んだ向かい側にあるストリップバーで、自分を騙した男に復讐をするためでした。

深夜2時に起き上がり、「コーヒーを買いに行く」と嘘をつき向かうビリー。

もう戻ってこないと悟ったレイラは彼と抱き合い、去っていく後ろ姿をみて見送ります。

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

ビリーも旧友に別れの電話を入れ、いざストリップバーの店内へ。

怪しい照明に照らされて踊る女たち、カウンターにいる女に聞き出し復讐をします。

このときに流れるのがイエスの “Heart of Sunrise” (燃えゆる朝焼け)です。

プログレッシヴ・ロック・バンド、イエスの1971年のアルバム『こわれもの』(Fragile)に収録された楽曲です。

緊張感あふれるギターと細かく刻まれるハイハットは、ビリーの鼓動を表しているようにも捉えてもいいでしょう。

10分30秒以上あるこの楽曲、劇中では歌を除いた伴奏部分しか使用されていないのですが、それが上手くサスペンス要素を増す演出を出しています。

また演奏が終わりのと合わせて白昼夢から目覚めるビリーを映し出すことで、彼の中の復讐へ燃える思いがなくなり虚無感を表していると解釈できます。

薔薇色の”こころ”を表す曲

イエスの “Sweetness” (1969年)

目的を失ったビリーでしたが彼には希望があります。

それまで精気のない目をしていましたが愛に満ち溢れた顔つきに変化。

友人に電話をかけてカフェに立ち寄ります。

笑みを浮かべ心躍る彼は、ラージサイズのココアとハート型のクッキーを2つ購入。

モーテルで待つレイラの元へ戻っていき映画は終わります。

カフェにある寄せ植えの蕾がついた薔薇〜ベッドでくっつき合う2人のオーバーラップで表すのは、これから満開に咲く恋の薔薇を意味します。

このとき流れるのが、イエスの “Sweetness”です。

1969年のデビュー・アルバム『Yes / ファースト・アルバム』(Yes)からの一曲です。

「彼女は雨の日の午後に日を差しこんでくれる/優しさという甘みを加えスプーンでかき混ぜるんだ/僕の気持ちをうかがって絶対に落ち込ませたりはしない/彼女は周りを優しく包み込んでくれる」という歌詞から分かるように、

心を開いたビリーの心境を表す一曲と解釈できます。

「どれだけ彼女が必要か/彼女は決して去ったりしない/彼女は僕を信じてくれる」という歌詞からは、

ビリーとレイラがお互いに必要な存在に変わった事を表しています。

まとめ:音楽で見える映画の新しい発見

【出典】cinesthetic.(@TheCinesthetic)|Xより

今回は映画『バッファロー’66』(1998年)を音楽的視点から見ていきました。

普段何となく観ている映画、過去に観た映画も時間を空けて見返すと新たな発見がありますよね。

それは自分自身が成長し経験値を増したからだと思います。

そして新しい映画の見方として、音楽に着目して聴いてみてほしいです。

新たな発見や気づきが見つかり、より一層解像度が増すかもしれません。

そんな発見ができるように、このブログでは洋楽の魅力を発信していきます。

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それでは次の記事でお会いしましょう。

SEE YOU NEXT WEDNESDAY!!

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ABOUT ME
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音楽ブロガー・ライター/イラストレーター/ミュージシャン
音楽に取り憑かれたロックン・ロール信者。中でもとにかく洋楽が好きで365日毎日聴き続けている。大学生の頃アメリカ留学中に受けた授業「ロックの歴史」に感銘を受け、そこから"次世代の小林克也"を目指すようになる。

CD、カセット、レコードなどアナログで鑑賞、アルバムを手に取ってはニヤニヤする変態。特技は80年代洋楽をミュージックビデオと共に1時間鑑賞する事。

日本全国、いや全世界にロックを必修科目にさせるべく日々魅力的な記事を投稿中。
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